2013年07月号 写真で磨く発想力
原点を打つ
写真は点を写す。私にとって撮影とは、自分の思考に原点を打つことだ。その点にフォーカスして気持ちを表現するのだ。相手の瞳を原点に、「君はステキだよ!!」という気持ちを写すのである。
被写体を「切り取る」のでもなければ「枠に収める」という発想もない。写真を「撮る」という感覚もない。ただただ「点」を見出してそれを写すのである。
日々、そのような考え方で写真を写し続けていると、写真以外の思考においてもまず原点を打つことから始めるようになる。原点さえ打てれば、それを基点とし、そこから外に向かって思考を展開できるのだ。思考が無限に広がってゆくのである。
どんなに思考が広がっても、ブレることはない。最初に原点を確定しているからだ。揺るぎのない原点をズドンと打ってから自分の世界観を描く。それが私の思考方法である。写真や学問をはじめとする知的生産も、手法はすべて、共通だ。
ともすると人は、最初に「外枠」を規定し、その内側の有り様を考えがちである。幼少時に刷り込まれた「塗り絵」の発想だ。枠からはみ出さずに色を塗るよう指導される。文字は原稿用紙のマスの内側に書くものであって、はみ出してはいけない。相撲は土俵という枠内で戦うものであって、はみ出したら負け。常々「枠」から出ずにその内側で行動することを求められるから、発想も「枠内」に留まりがちなのだ。
それはビジネスの場にも表れる。例えば新製品の開発にあたって、「我が社の得意分野」や「我が社が保有する技術」を出発点として考えるのだ。残念ながらそれだと、既存の得意分野や技術の「枠」を飛び出すことはできない可能性が高い。あらかじめ発想に枠をはめてしまい、その中で何ができるかという思考に終始するからだ。たどり着く結論は、枠の内部やその延長に収束することになる。
写真もまったく同じだ。写真の撮り方を解説する書籍では、フレーミングと構図を解説するのが定番。写真の枠(フレーム)を定め、その枠の内部にどのような構図で要素を配置するかを説く。
フレーミングといえば、両手の人差し指と親指で長方形を作って目の前にかざす動作が象徴的だ。ドラマなどで恋人同士が互いを撮影するときなどによく見る風景だ。この動作には、被写体の一部を「枠」にはめ、写真の形に「切り取る」という発想がそこにある。
本当にそれで自分が写したいものを写せるだろうか。写真を見る人に自分の表現意図が伝わるだろうか。
相手に寄り添う
そもそも写真を「撮る」という音は、「取る」、「採る」そして「盗る」に通じる。「切り取る」とは、被写体の一部分をカメラという道具で切り抜き、取ってくるという発想だ。被写体から取ってきたものが、はたして自分の表現と言えるだろうか。
人の物を盗るのは犯罪である。盗ってはいけない。写真だって「撮る」という発想で撮影すべきではないと思う。だから私は「撮る」のではなく、鏡のごとく「写す」気持ちで作画するのだ。カメラという鏡の角度や距離を工夫し、「写し方」によって自己表現をするのである。
その根底には、被写体に対する感謝がある。写真とは、被写体があって初めて成り立つ表現だから、いつも被写体に感謝し続けたいのだ。「ありがとう!!」、「ありがとう!!」と念じつつ、写すのである。写真とは「謝心」なのだ。
その感謝の表し方として、相手の輝きの源泉を探る。それを見出し、原点としてフォーカスし、写すことによって、「あなたはこんなにステキだよ!!」という気持ちを表現するのだ。一枚の鏡に映した自分と相手を一緒に見ながら相手の素晴らしさをほめる感覚である。
そのため、撮影するとき、気持ちのうえでは決して相手に対峙することはない。相手に寄り添うのだ。iPhoneの自分撮りモードでカップルが寄り添いながら自分たちを撮影するときと同じ気持ちで、すべての被写体を写すのである。そこには相手だけでなく自分の気持ちも写る。写真は「写心」なのだ。
気持ちにフォーカス
こうした手法は、撮影する対象が何であっても同じである。人でも料理でも花でも風景でも、相手のキラキラした「瞳」を見つけ、そこにフォーカスして、その輝きを写すのだ。
鉄板でジュージューと音をたてているステーキの照り、葉の上で朝日を反射する丸い朝露、凛とした花の雌しべについた花粉、優しい微笑みをたたえた家族の瞳──。それらの点を「原点」とし、そこにカメラでフォーカスすることによって、「美味しそう!!」とか「きれい!!」とか「好き!!」といった気持ちを注ぎ込んで写す。それが自分ならではの「表現」である。被写体の「瞳」と自分との間で交わしたアイコンタクトが、写真として定着するのだ。「このとき私はここを見ていた」という証である。
フォーカスするには、iPhoneのカメラなら画面上でその位置をタップすればいい。また、私が惚れ込んでいるペンタックスリコーイメージング㈱の最新型コンパクトカメラ「GR」では、「ピンポイントAF」を使い、AFエリアを相手の瞳に向けてピントを合わせる。シャッターを切ると、フォーカスした点がくっきり描写され、それ以外がふんわりボケるのが素晴らしい。GRはレンズの描写力が高いだけでなく賢く状況判断してくれるため、全自動で撮影しても、より印象的に原点を浮き上がらせることができるのだ。
このように写真表現は、毎回、原点を見つけることから始まる。原点を発見したら、そこにフォーカスし、それをド真ん中に写せばいい。気持ちがストレートに伝わる写真になる。さらに原点をより引き立たせる要素が周囲にあれば、1つ、2つとプラスして写し込むことで、写真に奥行きが出る。
その発想は常にものごとの核心からスタートし、周辺に拡大するという方向性を持っている。自分の気持ちを反映する点に原点を打ち、それにプラスする諸要素を背景に置く。原点から無限に広がる世界を描くのだ。そこに枠はない。空間的な制約がないから写真の画面より大きく広がる自由な絵を描ける。「原点描写」であり「プラス指向」である。
このように写真を写し続けることによって磨かれるのが、原点から外に向かって展開する発想力だ。原点描写の繰り返しによって自分の意志が明確になり、発想が外向きになって、新たな世界が開けるだろう。